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ダンブラウン

ダンブラウンの新作 インフェルノ

インフェルノとは!?

う〜ん、一体どういう意味なんだろうか!?

本を読む前に先ず題名の意味をチェックしなければならないとは辛いものがあるな〜。
流石にサスペンス作家のダンブラウン、いらん手間をかけさせてくれる。

あ〜迷惑だ。
インフェルノと云えば、タワーリング・インフェルノを思い出す。

何と当たらずとも遠からずであった。
何やら、イタリア語でずばり「地獄」を意味するらしい。

という事は、恐らく物語の舞台はイタリアかな!?

いや〜推測がまたまた当たってしまった。

ところで、ダン・ブラウンの作品なんだけれど、前作のロスト・シンボルからちょっと感動が薄れてきた感じがする。

はや、彼の作り出す世界のストーリー展開とつぎはぎパズルの強引な押し付けに飽きて来たというのが本音かな。それに彼の扱うネタは常に陰謀論とリンクしていたのだけれど、ダ・ヴィンチ・コード以降何かこうありきたりのネタであり、世界観が小さい感じがするのである。

最初に大きなものを扱ってしまったので後から来るものは何となく小さくつまらなくなるのかも知れない。

正直、インフェルノ、立ち読み出来る位の内容である。

ラングドンがなぜ狙われるのか、又、シームと展開が納得いかない。

こじつけ過ぎるので物凄い違和感を抱くのである。

・・・ていう印象である。

天使と悪魔の解説

天使と悪魔のシームとは

映画版の「天使と悪魔」をご覧になった皆さんは果たしてどんな感想を持ったのだろうか。

ダン・ブラウンの熱烈なファンの多くは複雑な心境なのでは!?
つまり・・・この映画版のカメルレンゴの描き方に、原作を読んだ者なら「これは違う」と大きな違和感を持ったのではないのか!?

これは想像だがダン・ブラウンの2大原作「ダ・ヴィンチ・コード」と先に出た「天使と悪魔」とを比較した場合、大半のロバート・ラングドンとダン・ブラウンのファンは、「天使と悪魔」を評価というよりも感性的に好むだろう。

それは、ちょっととても大き過ぎて日本人には理解出来ない「ダ・ヴィンチ・コード」のシームよりも、タイトル同様カメルレンゴに「天使と悪魔」という2元論、つまり2面性を生じた理由に日本人が大好きな湿った「ヒューマニズム」に感応した読者が多いと思えるからだ。

結局、ダン・ブラウンが「天使と悪魔」で、何が主張したかったのかというシームは、映画化した事で、若干というよりも完全にぼやけた様な印象を受ける。

私は、原作における最大のシームを「人間の二面性」と捉えていただろうとファンや有識者の一部は見ている。表面上は私もそうなのだが、陰謀肯定論者の立場からいうと偽善的な子供騙しのお涙ちょうだい話としか例えようがない。

(元々、キリスト教を作ったのは、実はあちら側の連中である。
ダン・ブラウンなど所詮、まさに「二分化して統治せよ!」の流れの中の手駒の一つに過ぎないという訳である。
これは一般の読者には全く判らない話なのでここは飛ばして読んで頂きたい。)

さて、ではこの「人間の二面性」というシームを高く掲げると、どうも映画の中のマッケナ神父にはこのシームはちょっと大き過ぎる様な印象を受ける。

映画版では、単なる自己の欲望・願望の実現者(単なる悪人)という小さな人物に変身してしまっていたのは残念であった。

原作では、くどいようだが、このカメルレンゴ(Camerlengo)を通して、「宗教と人間」の関係、そして神に似せて創造されたはずの「人間の二面性」は、「神の矛盾をも根底に孕んでいるという暗示」を大きなメッセージとして主張していたはずなのだが、映画ではこのメッセージが消えてしまった訳である。

映画のラストシーンでは何となく仲良し子良しでうやむやで本来のダン・ブラウンのメッセージがオブラートに包まれ誤魔化したという印象を受ける。

恐らく、これは、世界のカソリック教徒に配慮したため、原作のシナリオ変更に踏み切った結果だと思われます。

              ☆☆☆☆ ☆☆☆

原作を読んだ感受性豊かな者達は、このカメルレンゴの「純粋で完全な善という神の威光を実現するために、自ずから悪魔に心を売った人間の苦悩とそこに至る心模様・・・」という部分に「人間の二面性」を見て人生の悲哀を感じたり共感していたはずである。

昔から、得てして良くある話なのだが、映画から観た人々には関係ないのだが、原作を読んでから映画を観た者達には、完全に別物の「天使と悪魔」である。

それに対して、良くしたり顔で、映画は原作と違うと騒ぐ人々が居る。
そんなことは、今回の映画化に関して、ダン・ブラウンは全て納得済みであり、彼が新たに作り直した様なものなので、別にどうでも良い話である。

結論として、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」は、あらすじも登場人物もシームも微妙に異なる2つの作品が同時に存在している訳である。

故に「天使と悪魔」を語るのには映画と原作の2つを観て読んで完結すると云えるのかも知れない。

因みに、「神と科学の融合」だなんてラストシーンは、大衆向けの茶番である。
狙いは、「キリスト教の崩壊」だ。
(ここは、理解出来ない人々が多いと想いますので無視して下さい!)

お判り頂けただろうか。
最後まで読んでくれて有難う。グラッチェ!

ダン・ブラウンはどこまで我々を楽しませてくれるのでしょうか。これからも彼の著述作品から目が離せません。最近は、フィリップ・マーロウの様にロバート・ラングドンが夢にまで現れる始末です。取り合えず最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。この記事は天使と悪魔の解説のオリジナルによるものです。又お会いしましょう。

天使と悪魔の解説

天使と悪魔 映画と原作の違いの一考察

天使と悪魔の映画を観たのだが、かなりがっかりです。

とは云うものの、「原作と映画の違い」や「本作品の持つメッセージ」と根底に流れる一連の「ダン・ブラウンが発している隠されたメッセージ」などについて一つ解説してみようと思います。

ま〜その〜細かい話をするとべらぼうに長くなるので、記憶に残っているものを掻い摘んで紹介したいと思うところです。

第一感としては、モチーフとかアイテムと云おうか、味付けといおうか、原作の大きな要素となるあらすじや設定のキーワードが著しく消滅したか格下げされてしまったという印象ですね。

先ず断っておくと、原作と実際の違いという様な、例えばスイス衛兵隊の数が小説中では確か140人前後、実際は100人前後とか、バチカンの保管庫や教皇執務室とかの配置や内装にデザインが違うなどというマイナーなどうでも良いことにはここでは触れません。

◆さて、原作と映画との違いなんですが、映画では、設定上別人になったか、格下げか、存在する設定だが登場しないか、更に完全に消滅した人物達が存在しますね。あらすじも設定・背景も変化したので、これには驚きました。

【 天使と悪魔 原作と映画の違い 】

出てこないセルン(欧州原子核研究機構)所長のマクシミリアン・コーラー、セルンの科学者でカトリック司祭のレオナルド・ヴェトラ、BBC記者のガンサー・グリック、BBCカメラマンのチニ―タ・マクリ、カメルレンゴの出生の秘密と彼の科学への逆恨みが消えた、つまり彼の犯行動機が変ってしまった。

更に、実の父親から養父へ、カメルレンゴの本名カルロ・ヴェントレスカからマッケナ神父へ、オリヴェッティがさほど重要な人物ではなくなりヴァチカン警察に、アサシンが傭兵に変りカリスマ性とポリシィーが消えた、新登場リヒタースイス衛兵隊長、セルンの扱いが貧弱、セルン所長マクシミリアン・コーラーの要請がヴァチカン警察の要請へ、X-33 (航空機) も出る幕無し。

大選皇枢機卿もモルターティからシュトラウス枢機卿へ、全員亡くなるはずの4人のプレフェリーティ(枢機卿であり候補)が1人生き残る、父が殺害されたヴィットリア・ヴェトラの復讐に燃えた探究心が消えた。

多分、新登場のシメオン神父、天使と悪魔の彫像を象徴にし原作からの変化を予感させた、記憶が曖昧だが多分消えたオリヴェッティの部下ロシェ・・・、ヘリにはロバート・ラングドンも乗り込むのだがマッケナ神父のみ、ロバート・ラングドンの奇跡のスーパーアクションが消えた。

ロバート・ラングドンがアサシンに遭遇しやっつける一連の場面、反物質の研究はヴェトラ親子のみの秘密だったはずが研究チームに変更、ペテロの墓の上に教会を建てた経緯(いきさつ)と聖書との関連性(つまりカソリックにとっての総本山であるバチカンの存在とか位置付けの大きさの強調という味付け)が出てこないので映画での演出とストーリーの流れが甘いものになって(時間がないので仕方ないか)しまった。

ラストにかけて、カメルレンゴが落下傘で降りてからの場面、原作でのカメルレンゴの荘厳で華麗な最後がなくなりお粗末な悪人の最後という印象、一連の真実が判明する経緯、ルカの名が登場した、神と科学の融合、ラストシーン・・・、ETCというところか。

ただ、1人の枢機卿が助かる場面は、映画的には高得点であり10ポイントであった。

【 映画版 天使と悪魔 ストーリーの疑問 】

マッケナ神父がそのカメラの存在を知らなかったという設定には、ちょっと納得出来ないのと、リヒタースイス衛兵隊長が、気持は判るが誰にも言わないで、つまり一人で全部背負って、マッケナ神父を問い詰めるというのも合点が行かないところである。真実を明らかにする前に2人だけで話、カメルレンゴの意志を事前に確認したかった・・・、判らなくもないが、別に部下が同席してもおかしくはない・・・と思うのだが。

・・・しかし、この位はね〜これはちょっと拘り過ぎかな。
まっどうでもいいかな。

極めつけは、ロバート・ラングドンがアサシンに追い詰められた時、入って来たヴァチカン警察2名に、「その男は警察官ではない!」又は、「そいつが犯人だ!」と十分に伝えられたのに云わなかった。実際は、見えなかったけれども。

この場面は絶対におかしいとまでは主張しないが、ちょっと腑に落ちない。
場面からは、とにかくその場から逃げるのみのロバート・ラングドンの意志しかないのは判らない事はないが、ある程度状況が把握でき、警官と銃声の音と声は十分に聞こえたと思うのだが。

ま〜細かいことです。アサシンの仲間かも知れないし、イタリア語は判らないし。

まっどうでもいいかな。

◆アサシン(元傭兵)がビジネスライクな意見と罪という発言を語るのには興ざめだった。
暗殺者に恐さと威厳の念が消滅してしまった。つまり普通のそれなりの人物になり、原作での劇中語られる深い歴史に裏付けられた彼の生い立ちなどが醸し出すムードが消えたのでした。

◆ダン・ブラウン原作の作品が映画になった場合の原則を紹介すると、細かな背景・設定とあらすじが変化する以外に2つの法則がありこうなる。

1、大体、暗殺者の最後は原作と違う。
2、補佐役の主要な刑事とかの人物の設定・地位・背景がわざと映画様に全く異なるものに作り変えられる。

さて、ま〜ダン・ブラウンが、製作総指揮者なのだから当然彼は全て了解済みな訳であるのだから、文句を言ってもしょうがない。

【 参考情報 】

因みに、ちょっと前には、反物質が存在しこの世と触れた場合、宇宙全体が連鎖爆発で吹っ飛ぶと云われていましたので、正直あの程度の爆発で済んでよいのかという疑問は未だにありますが、科学雑誌ではなく所詮フィクション小説ですから良しとしましょう。

更に、因みに、セルン研究所の本作品に該当する様な素粒子を加速し重金属に当て陽子の変化を見る研究をする存在は、実は日本の岡山県にも世界5位(3位?)以内のものがあります。

加えて、年配の方はご存知だろうが、「オリヴェッティ」とは有名なイタリアの会社であり、日本ではタイプライターで有名だった。パーカーの万年筆の様なものである。

◆じゃ〜、それでは、ダン・ブラウンは、一体この「天使と悪魔」や「ダ・ヴィンチ・コード」を映画化し、原作の特徴やストーリーを捻じ曲げても良いという条件化で、何を描きたかったのか!?

判りますか!?皆さん。

フリー・メーソンリーもイルミナティーもキリスト教も全てダン・ブラウンのアイテム・要素の一つですが、それだけの単体・独立したものと考えてはいけません。
全てが関連し「隠されたメッセージ」の存在を暗示しています。

答えは、こうです。

映画の後半アサシンが二人にこう語ります。

「神に使える者達に気をつけろ!」です!

◆そして、その神とは「どの神」なのか。
◆もしかしたら「あちら側とこちら側の両方」かも知れない。

私の推測が外れる事を祈るばかりです。

最後まで読んでくれて有難う。グラッチェ!

ダン・ブラウンはどこまで我々を楽しませてくれるのでしょうか。これからも彼の著述作品から目が離せません。最近は、フィリップ・マーロウの様にロバート・ラングドンが夢にまで現れる始末です。取り合えず最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。この記事は天使と悪魔の解説のオリジナルによるものです。又お会いしましょう。

天使と悪魔の解説 ニュース

ダン・ブラウンの次回作「レクイエムの暗号」

ダン・ブラウンの次回作を、「レクイエムの暗号」と推理してみました。

1昨年前の2009年にロスト・シンボル(The Lost Symbol)が発売されてから後、最近はあんまりダン・ブラウンの噂も下火になりました。

たまに民放放送が「ダ・ヴィンチ・コード」や「天使と悪魔」のテレビ放映をした際に多少ダン・ブラウンファンがブログなどで感想を述べるという現象を確認出来るというところか。

ただ、ロスト・シンボル(The Lost Symbol)発表の後、ダン・ブラウンの次回作は「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」をシームにしたものだという噂はアメリカでは根強く残っているようだ。

これまで、バチカン、キリスト教、イルミナティー、フリー・メーソンリーと、ま〜あくまで表面的なものだが、以外と大きな流れのシームを扱い追及してきているダン・ブラウンのことだから、当然次回作もそういった類のものになるのは想像がつく。

所謂、世界の不思議大好き人間や、陰謀肯定論者の常識としては、「フリー・メーソンリー」と「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の関係は切っても切り離せない課題であります。

又、彼の死の際の逸話と残したレクイエムも実に興味深いものであります。

イエス、イルミナティー、フリー・メーソンリーの流れとしては、やはり過去の代表的なフリー・メーソンリーの人物を持ってこなければいけない訳です。

ま〜、アメリカ国内では、ワシントンからアルバート・パイク将軍関係のフリー・メーソンリー情報は、もはや常識であるわけで、否定するとかの問題ではないのでアメリカ国内では今更の観があると想われる。

だから、そうなるとヨーロッパの大物フリー・メーソンリー、それも誰でも知っている歴史上の超有名人物を探さねばならない訳である。大物は関係ないかも知れませんが。

歴代、英国、イタリア、フランスの首相とか、ゲーテなどの哲学者、文学者、アイザック・ニュートンなどの科学者・・・もそのリストに入りますよね。

しかし、正直、世界の多くの老若男女の認知度からいうと、哲学者、文学者、科学者などは、確かにフリー・メーソンリー内での地位は高いだろうが、知名度・認知度はやはり低いと云わざるを得ないでしょう。

はい、私が何を云いたいのか、読者の皆さんはもうお判りでしょう!
そこで、「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」に白羽の矢が当たるわけですね。

一応、これまでの彼の作品を整理してみると以下のようになります。

1998年 パズル・パレス (Digital Fortress)
2000年 天使と悪魔 (Angels & Demons)
2001年 デセプション・ポイント(Deception Point)
2003年 ダ・ヴィンチ・コード (The Da Vinci Code)
2009年 ロスト・シンボル (The Lost Symbol)

それでは、ダン・ブラウンの次回作の作品名の予測をしてみましょう

仮に、「フリー・メーソンリー」と「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」をシームとした場合です。

象徴図形の研究家である主人公ロバート・ラングドンは、一体どんなキーワードで、どんな図形、又はそれに匹敵・代用されるものを、謎としてモチーフとするのか!?

私は、彼の残したレクイエムの音階、又は世に出ていない楽譜に何かそれらしきものを感じますね!又、毒殺説を推理したものか。

そして、彼モーツァルトの死を推理しても何も面白くありません。
ロバート・ラングドンが、いつもの様に、何かの答えを導くのに利用されるわけですから。タダでは人は動きません。そこは、味付けとして、ハプスグルク家か当時のフリー・メーソンリーの財宝を狙う連中が登場するわけですね。モーツァルトが何かヒントを彼のレクイエムに残したという感じでどうでしょうか。

小学校の時の担任の先生か、高校の音楽の先生かはっきり覚えていませんが、噂では、彼はその死に際して、短時間でレクイエムを仕上げるように誰かに命令されたか、脅迫されたという話をよく聞かされましたね。

さもありなん展開ではないでしょうか。

さすれば、「失われた楽譜」、「アマデウスの遺産」、「音階の秘密」、「楽譜の秘密」、「レクイエムの秘密」、「レクイエムの暗号」、露骨ですが「モーツァルトの暗号」、「アマデウスの暗号」、「アマデウスの財宝」、「レクイエムは語る」・・・など!

又、或る日、モーツァルトの手によるものと想われる古い楽譜が見つかり、どうも現在残されている未完のものの続きのようであるらしい。・・・そこで、或る者達が楽譜全体に財宝に導くパズルか、暗号が隠されていることを知る。

そこで、それを解ける人間は、どうもロバート・ラングドンらしい・・・という展開ですね。

そうなると、かなり絞り込まれてきましたから、こうなりますね。

「失われたレクイエム」、「蘇えるレクイエム」、「レクイエムの暗号」、「モーツァルト・コード」というところでしょうか!?

如何でしょうか!?

ダン・ブラウンはどこまで我々を楽しませてくれるのでしょうか。これからも彼の著述作品から目が離せません。最近は、フィリップ・マーロウの様にロバート・ラングドンが夢にまで現れる始末です。取り合えず最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。この記事は天使と悪魔の解説のオリジナルによるものです。又お会いしましょう。

ザ・ロスト・シンボル 概略

ロスト・シンボル 映画化決定

ロスト・シンボルの映画化が決定したようです。
ま〜当然の如くロスト・シンボルしかり、このダン・ブラウンの一連の作品、今やドル箱ライトノベルを映画会社がほって置くはずはありませんからね。

すでにコロンビア映画が触手を伸ばしているようです。
インターネット上の噂では、「ダ・ヴィンチ・コード」に「天使と悪魔」と同じくロバート・ラングドン役はトム・ハンクス主演によるキャストで、2012年に撮影開始か、又は配給予定らしいという情報が世界を駆け巡りましたね。。

以前の記事で書いた通り、ダン・ブラウンは私の思う真実の追求とは全く相容れない方向性でこの世の真実を捻じ曲げようとしています。

過去、テンプル騎士団、シオン修道会、イルミナティーの認識イメージが彼に依って偏向されてしまいました。今回同じくフリー・メーソンリーのイメージも下らないハリウッド映画と同じ様に偏向されたものになるでしょう。

ですから、民衆の皆さんに、マスメディアが娯楽として我々に提供する情報の裏の意図をもっと深く学び、推敲し、探って欲しいと私は願う次第です。

ダン・ブラウンはどこまで我々を楽しませてくれるのでしょうか。これからも彼の著述作品から目が離せません。最近は、フィリップ・マーロウの様にロバート・ラングドンが夢にまで現れる始末です。取り合えず最後まで見てくれて読んでくれて有難うございます。この記事は天使と悪魔の解説のオリジナルによるものです。又お会いしましょう。

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